論文「円高で買う株」の正体

「円高で買う株」の正体

2026年8月3日

2026年8月2日、ベッセント米財務長官が、前週金曜の円買い介入に米財務省が参加していたことをXで認めた。同じ投稿で、FIMAレポ・ファシリティの増枠を促し、円の「大幅な過小評価」を是正する日本の措置を支持すると書いている。米当局が円を買ったのは、2011年の震災後のG7協調以来である。

ここから出てくる投資アイデアは、ほとんど自動的に決まる。円高に振れるなら、外貨で仕入れて国内で売る企業の原価が下がる。輸入原価レバレッジの高い内需企業を買えばいい。

我々はそのバスケットを実際に組んだ。有価証券報告書で「円安は自社のコストである」と自ら開示している企業だけを集めた32銘柄である。そのうえで、当たり前に思えるほうの問いを測った。このバスケットは、円と一緒に動くのか。

市場を控除したあとの為替感応度は −0.004、t 値は −0.18 だった。ゼロである。

018月2日に変わったもの

事実関係から。円は7月末に対ドルで163円台後半、約40年ぶりの安値をつけた。7月31日、日本の通貨当局が円買い介入を実施し、ニューヨーク連銀が米財務省の代理でユーロを売って円を買った。執行はゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレー経由とFTが報じている。円は一時157.57円まで戻し、週明けには156円台に入った。

財務省は8月3日、これが2025年9月の日米財務相共同声明にもとづく協調行動であり、「今後も躊躇なく協調介入を実施する」と発表した。片山財務相も同趣旨を述べている。トランプ大統領は「彼らは少し助けが欲しかった。日本のためならいつでもだ」と記者団に語った。

金融政策側では、日銀が7月31日会合で政策金利を1.0%に据え置いた。6月に0.25%引き上げた直後で、1995年9月以来の水準である。採決は8対1、高田審議委員が1.25%への引き上げを主張して反対した。植田総裁は、物価安定の追求に失敗すれば「急激な利上げを迫られる可能性がある」と述べている。

Bessent post on X, 2026-08-02
図 1 · 2026年8月2日 16:00 ET
ベッセント米財務長官の投稿。協調介入への参加、FIMAレポ・ファシリティの増枠、円の過小評価是正への支持が、一つの投稿にまとめられている。
出所: @SecScottBessent, X, 2026-08-02

この一連のなかで、水準の話ではないものが一つある。FIMAレポである。

介入には自己制約があった。外為特会のドル預金は有限で、それを超えて介入を続けるには米国債を売るしかない。米国債売却は米金利を押し上げるので、米国が嫌がる。つまり「弾切れ」は市場が織り込める制約だった。FIMAレポは、保有米国債を売らずにドル流動性を調達する枠組みである。増枠されれば、この自己制約が制度として外れる。

これは為替の水準予想ではなく、円安方向のテールを政策的に切り落とすという分布の話だ。だからこそ、株式でどう表現するかという問いが立つ。

02仮説をそのまま32銘柄にする

銘柄選定に我々の相場観が入ると、あとの検証が意味を失う。そこで選定は開示に任せた。

Komori リサーチ・エンジン は有価証券報告書を節単位で解析し、外部要因を概念に分類している。そのうち通貨リスクと商品価格リスクの下で「輸入コスト」「輸入原価」「外貨建て仕入」「円安によるコスト」と読めるラベルだけを32個選び、そこに紐づく企業を全部取った。207社が出た。企業側が自分の言葉で「円安は自社のコストだ」と書いている集合である。

ここから、テーゼが明示的に除外する型を落とす。訪日需要の比率が高い小売と百貨店、燃料費調整制度で原価変動が自動転嫁される電力・ガス、商品市況と為替が相殺する石油精製と資源商社、そして為替が損益にほぼ影響しない純内需サービス。残った銘柄をKomoriのテーマ・エディタに投入し、5つの輸入原価カテゴリと、テーゼが「分離して管理せよ」と書いている金利経路のサブバスケットに分けた。合計32銘柄、コア28、金利4。

食品加工には 昭和産業プリマハム日和産業のような、輸入穀物・油脂・飼料を主原料とし粗利率が10〜20%台の企業が入る。小売には 西松屋チェーンワークマンDCMホールディングス。卸には トーホーヤギ

バスケットの主要保有銘柄とセクター配分
図 2 · 組成
小売 34.5%、食料品 22.1%、卸売 22.9%。時価総額加重ではなくカテゴリ内均等配分で、最大銘柄でも4.0%に収まる。
出所: komori.app/portfolio-library

バスケットは公開してある。保有銘柄、配分、バックテストの全期間の推移は ポートフォリオ・ライブラリで確認できる。以下の検証は、すべてこの32銘柄に対して行った。

03このバスケットは円と動くか

測り方は単純である。2013年から2026年までの日次対数リターンを、TOPIXのリターンとドル円の対数変化率に回帰する。自己相関と不均一分散のため標準誤差はNewey-West(L=5)で出した。ドル円の係数が負なら、円高で上がる銘柄ということになる。

TOPIXそのものから始める。ドル円に対する係数は +0.634、t 値 10.02。円が1%安くなると日本株は0.63%上がる。日本株がどれほど円安を織り込んだ資産になっているかを示す数字で、以降のすべてはこの背景の上で読む必要がある。

そのうえで、輸入原価バスケットを市場控除後に測る。係数 −0.004、t 値 −0.18。

β on dln(usd/jpy) · daily 2013–2026 · hac l=50TOPIX市場そのもの+0.634t = 10.02輸出バスケット25 銘柄・市場控除後+0.107t = 3.63金利サブバスケット4 銘柄・市場控除後+0.039t = 0.89輸入原価バスケット28 銘柄・市場控除後-0.004t = -0.18
図 3 · 円と一緒に動いているのは誰か
ドル円対数変化率に対する日次係数。TOPIXは単独推定、各バスケットはTOPIXを右辺に置いた市場控除後の推定。輸出バスケットにはわずかな順方向の感応度が残るが、輸入原価バスケットはゼロと区別がつかない。

銘柄単位で見ても同じである。28銘柄のうち、有意に負の感応度を持つのは ワークマン(−0.425、t = −5.44)と アミファ(−0.309、t = −2.77)の2つだけだった。残りは符号がばらつき、いくつかは正である。開示上は全社が輸入コストを抱えているにもかかわらず、株価はそう動いていない。

テーゼが正しいなら、ここに負の係数が出ていなければならない。出ていない。

04効果はスプレッドにしか出ない

ロングだけで効かないなら、相対で見る。輸入原価バスケットをロング、輸出バスケットをショートしたスプレッドを作る。輸出側も同じ手続きで組んだ。同じ分類から「海外売上の為替感応度」「為替換算」と読めるラベルを取り、時価総額300億円超の自動車・機械・電機・化学に絞った25銘柄である。片側だけを丁寧に作って反対側を雑に作ると、そこで結論が決まってしまう。

このスプレッドのドル円係数は −0.495、t 値 −11.05。強い。日次でこれだけ出れば普通は本物だと考える。

ただし、この数字には別の説明がある。輸入原価バスケットの市場ベータは0.425、輸出バスケットは1.046。差は約 −0.62 である。そしてTOPIX自体が +0.634 の為替感応度を持つ。掛け合わせると −0.393。観測された −0.495 の8割が、為替とは無関係に、ベータの差だけで出てしまう。

確かめ方は、スプレッドの回帰にTOPIXを入れることだ。−0.495 は −0.111 になる。5日で −0.092、20日で −0.072、60日で −0.050。月次の非重複データでは −0.031、t 値 −0.26。

β on dln(usd/jpy) · long import / short export · by holding horizon0−0.2−0.4−0.6-0.49-0.111t=-3.391日-0.66-0.092t=-2.045日-0.59-0.072t=-0.9920日-0.50-0.050t=-0.4160日市場控除なし市場控除ありPLACEBO · 1日輸入と無関係な内需28銘柄-0.38-0.101輸入原価バスケットと差がない
図 4 · 控除すると8割が消える
輸入原価ロング・輸出ショートのドル円係数。左が市場控除なし、右が控除あり。控除後に残るのは日次で −0.111、20日以降は統計的に区別がつかない。右側の欄は、輸入と何の関係もない内需28銘柄で同じスプレッドを組んだ場合の数字。

05輸入と無関係な内需株でも同じ数字が出る

ベータ差が効いているという説明が正しいなら、輸入原価の仕組みを一切持たない内需株で同じスプレッドを組んでも、同じ数字が出るはずである。

同じ分類プールから、テーゼが除外した業種だけを取った。情報通信・サービス、建設・資材、不動産の28銘柄。円建てで事業が完結し、円高が原価を下げる経路を持たない企業である。市場ベータは0.599で、輸入原価バスケットの0.425より輸出側に近い。

このプラセボを輸出バスケットに対してロング・ショートすると、ドル円係数は −0.376、t 値 −8.90。市場控除後は −0.101、t 値 −2.67。輸入原価バスケットの −0.111 と、実質的に同じである。

半年かけて開示を読み、輸入原価レバレッジの高い企業を選び出す作業と、内需株を適当に28銘柄集める作業とで、出てくる「為替トレード」が変わらない。この時点で、我々が測っていたものが為替ではなかったことは、ほぼ確定する。

0620本の仕様、生き残りは4本

ここまでで、いくつの回帰を回したことになるか。4つのバスケット構成(ロング単体、輸出単体、生スプレッド、市場控除スプレッド、ベータ中立スプレッド)と4つの保有期間(1日・5日・20日・60日)の組み合わせで20本ある。20本も回せば、そのうち1本や2本が t 値2を超えるのは偶然でも起きる。

そこでRomano-Wolfの段階的多重検定を全20本に一括で適用した。定常ブロック・ブートストラップ(平均ブロック長15日、5000回)で、1回の再標本抽出を全仕様に共有して使う。仕様間の相関を壊さないためである。

20 specifications · romano-wolf stepdown · b=5000-0.6-0.4-0.20市場を控除しない4本FWER 5% を通過市場を控除した16本最小 p = 0.149 · 全滅
図 5 · 全仕様、一枚に
推定した20本のドル円係数と、Romano-Wolf段階法によるFWER調整後p値。塗りつぶしが5%水準の生存。生き残った4本はすべて市場を控除していない生スプレッドで、市場を控除した16本は最小のものでもp = 0.149にとどまる。

生き残ったのは4本。いずれも市場を控除していない生スプレッドである。市場を控除した16本は全滅した。

07実際の円高局面で何が起きたか

係数の話を離れて、実際に円が強くなった局面を並べる。回帰は平均的な関係を測るもので、投資家が向き合うのは個別の局面だからだ。

表 1 · 期間内の累積リターン。バスケットはコア28銘柄の均等加重。2026/7の窓は介入当日を挟む3営業日。
局面ドル円TOPIXバスケット対TOPIX
2022/10 介入 → 年初円高−10.9%+0.9%+1.9%+1.0%
2024/04 介入−0.4%−0.2%+0.1%+0.3%
2024/07–08 キャリー巻き戻し−9.7%−23.2%−12.8%+10.5%
2025/01–04 円高局面−10.2%−5.5%+1.9%+7.4%
2026/04–05 円高局面−1.1%+8.2%−3.0%−11.2%
2026/07 日米協調介入−2.2%+1.0%−0.2%−1.2%

二つ、目を引く行がある。

2024年7〜8月のキャリー巻き戻し。ドル円は9.7%下落し、TOPIXは23.2%下げた。バスケットは12.8%の下落で、TOPIX比では10.5ポイント上回っている。相対では機能した。ただし絶対では2桁のマイナスである。円高で儲かるはずのバスケットを持っていても、市場全体が崩れる局面では一緒に沈む。テーゼ自身がこのリスクを名指ししていたが、数字は名指しどおりだった。

2026年4〜5月。ドル円はほぼ動かず、TOPIXは8.2%上昇し、バスケットは3.0%下落した。対TOPIXで11.2ポイントの劣後である。為替が動かない局面では、低ベータの内需小型株を持っているという事実だけが残る。

そして今回。7月29日から31日までの3営業日、円は2.2%強くなり、バスケットはTOPIXを1.2ポイント下回った。介入の当日に、円高で買うはずのバスケットが市場に負けている。

0817年間、このバスケットは何だったのか

最後に、Komoriのエンジンで2009年2月から2026年5月まで通した。月次頻度、四半期リバランス、取引コストと流動性上限を適用したうえでの結果である。

growth of ¥1 · log scale · 2009-02 → 2026-051×2×3×5×20122015201820212024×5.18JP225×4.11バスケット
図 6 · 1円が4.11円に
対数軸。ベンチマークはJP Market 225。バスケットの年率は8.50%、ベンチマークは9.96%。ボラティリティは11.8%と低く、最大ドローダウンは −22.0% にとどまる。低ボラティリティで、リターンも低い。
表 2 · 6ファクター回帰。市場0.56、小型0.48、バリュー0.31。アルファは月次+0.15%だが t 値0.92 で、ゼロと区別がつかない。
ファクター係数t 値
アルファ+0.15%/月0.92
市場0.56014.12
小型0.4766.04
バリュー0.3083.85
収益性−0.038−0.28
投資保守性−0.123−1.03
モメンタム0.0781.57

ファクター分解が、ここまでの結果と正確に一致する。このバスケットは、低ベータの小型バリュー株である。それ以上でも以下でもない。17年かけてベンチマークに負け、超過リターンはファクターで説明し尽くされる。

一点、明記しておく。エンジンの価格データは2026年5月29日で止まっている。7月の介入はこのバックテストに入っていない。図6は今回の局面についての証拠ではなく、このバスケットが構造として何であるかを示すものである。

09この結果の使いみち

テーゼの経済学は間違っていない。円高は輸入原価を下げる。粗利率の薄い企業ほど営業利益の弾性は大きい。値上げ済みで原価だけが下がる企業では、交易条件の改善が粗利に滞留する。それは会計の話として正しい。

間違っているのは、それが株価に現れるという前提のほうである。市場控除後の為替感応度は、日次でゼロ、多重検定後はどの保有期間でもゼロだった。輸入原価の効きは3〜6か月の調達リードタイムを経て損益に出るが、その頃には為替は次の水準に動いている。四半期に一度しか観測されない粗利率の改善を、日々値付けされる株価から取り出すのは、想像以上に難しい。

もう一つ。市場控除前のスプレッドが −0.495 だったことは、無意味ではない。ヘッジせずにこのトレードを持つなら、実際にその感応度を受け取る。ただし受け取っているのは為替エクスポージャーではなく、内需低ベータを買って輸出高ベータを売るという、市場ベータの空売りである。円高局面で日本株が下がるから効くのであって、輸入原価が下がるから効くのではない。同じことを、より安く、より素直に、指数先物で表現できる。

したがって我々の結論はこうなる。円の方向に賭けたいなら、為替で賭けるべきである。株式でやると、意図しない −0.6 のベータ差を背負い、それが損益の8割を決める。輸入原価の改善そのものを取りにいくなら、日次の値動きではなく決算を見る対象であり、保有期間は四半期単位、そして市場ベータは別途ヘッジしなければ意味がない。ヘッジ後に残る感応度は −0.05 程度で、取引コストを引いたあとに何が残るかは、率直に言って心もとない。

限界も書いておく。第一に、我々は株価のみを見ており、実際の営業利益の為替弾性は測っていない。開示された感応度と実現した損益の突合は次の課題である。第二に、バスケットは28銘柄と小さく、業種は小売・食品・卸に偏っている。第三に、FIMAレポ増枠は現時点で表明にとどまり、実行されていない。増枠が実際に決まり、日銀の追加利上げが続いて内外金利差が縮小すれば、テーゼの前提条件は満たされる。ただしその場合でも、この論文が測ったのは前提条件ではなく伝達経路のほうであり、伝達経路が塞がっているという結果は変わらない。

最後に、この検証の性格を明示しておく。仮説と除外条件はテーゼ文書として事前に固定されていたが、推定手法はデータを見たあとに設計している。したがって係数の水準は探索的な結果として読むべきであり、多重検定の調整はその前提で全仕様に一括適用した。

参考文献と方法

価格データは2013年1月から2026年8月まで、日次調整後終値。市場指数はTOPIX連動ETF(1305)を使用した。ドル円はスポット。回帰はすべて対数リターンで、標準誤差はNewey-West、日次でL=5、k日重複窓ではL=2kとした。月次は非重複で L=3。

銘柄選定はKomoriの外部要因分類(有価証券報告書の節単位抽出)から行い、通貨リスクおよび商品価格リスクの下位概念32ラベルに紐づく207社を母集団とした。リターンデータは選定に一切使用していない。バックテストはKomoriのエンジンで、月次頻度・四半期リバランス・取引コストおよび流動性上限を適用している。

多重検定はRomano-Wolf段階法。定常ブロック・ブートストラップは平均ブロック長 L = ⌊n^(1/3)⌋ = 15、B = 5,000。各反復で1本のマスター再標本を生成し、全20仕様に共有適用して仕様間の相関構造を保存した。帰無仮説は仕様ごとに β_fx = 0 として中心化している。

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